起業家 実業家 商売人 ビジネスマン
毎日、暑いですね・・。
起業家は「起業」「創業」ともに古くからあり、意味の違いはない。ただ、「ベンチャー起業」のように「従来にない新種の事業を起こす」という意味に使うのは最近ですよね。
実業家とは、商業・工業などのような、生産、製作、販売などをする活動を行い、経営する人のことを言います。
商売人とは、商売をしている人。商人。あきんど。また、商売の上手な人のことを言います。
ビジネスマンと実業家は意味が同じです。
私は起業して4年で旧本社ビルを購入しました。はたから見ると、さぞかし商売上手な奴だと思われたのでしょうね。
でも、24歳から6年間ほとんど不眠不休の商売人としての下積みを経て、30歳で起業したのです。
その、6年の下積みの成果が次の飛躍の10年に繋がったに過ぎません。 まあ、次の10年は苦労つづきでしたけど・・。
まさに山と谷を全力で走り雨や風や嵐や崖崩れを切り抜けて来ました(苦笑)
そして、今期は第23期に入りました。有り難いことです。
しかし、企業には企業生存率というのがあり、企業が誕生して生き残れる確率ですが「設立5年で15%、同10年で6.3%、同20年で0.3%、同30年で0.025%とのこと。
そう言う意味では確かに「時の人」と呼ばれる人たちを本当にたくさん見て来たなあ・・。
22年半の名刺ホルダーを整理してると消息不明や既に廃業している「代表取締役 社長」という肩書きの名刺が何千枚もある・・。
消える人の特徴は「小さな嘘をつく」「自分を大きく見せる」「お金使いが荒い」「時間や約束を守らない」「毎晩呑み歩いてる」
こういう人って本当に消えたなあ・・。
良く、「君は社長なんだから、もっと遊べ!」とか「もう、少し休日を取りなさい。社員や役員がやりにくい」諸先輩社長方に言われます(笑)
でも、私が尊敬する経営者で、故・土光敏夫さんがおられます。(もちろんお会いしたことなんてないですが)
2つの企業を再建した経営者・土光敏夫さん。その生活は清貧そのもので、常に努力と精進を怠ることがなかった。多くの人から慕われ、尊敬された人です。
昭和25年、54歳の土光さんに大変な仕事が回ってきた。経営難に苦しむかつての古巣の石川島重工の再建です。
どのようにして会社を立て直すか?土光さんはは悩んだそうです。
社長に決まって初めての出勤日、早起きして午前8時前に会社に出社した。工場の門には守衛が立っているが、まさか社長が早く出社してくるとは思っていない。
就任したばかりなので社長の顔を知らない守衛は、「あなたはだれですか?」と質問した。
すると、偉ぶった様子もなく、「今度、社長になりました土光と申す者でございます」と言ってきたので、守衛は目を丸くさせて驚いたそうです。
そのエピソードを知った役員は、己の姿勢を反省し、社長に負けじと早朝に出勤し、何倍も仕事をするようになったそうです。
上司の精勤に心打たれた社員たちも、呼応するように一生懸命働き、社内の雰囲気は一変した。
次に、社内報を作り、自ら書いた会社再建の具体的構想の原稿を掲載した。新年の初出勤の日、例によって会社に一番乗りをした土光は、社員1人1人に社内報を配りだしたのだ。
年頭から先陣を切って動きだす社長の姿勢に、社員は皆びっくりした。そして全員が社長の年頭の挨拶を熟読し、期待にこたえようと一致団結して働いた。
傾きかけた石川島重工は上げ潮の波に乗り、一気に世界レベルの企業に躍り出たのである。
私は、この人の本を読んだ時にこういう社長になろうと本当に思いました。
土光さんの話がつづきますが、
昭和40年、再び大きな仕事が土光さんに回ってきました。創立以来の危機にあえぐ東芝の再建です。
ここでも、「モーレツ経営者」ぶりを発揮し、7年間で東芝の立て直しに成功されました。特に社長就任の際に役員を一喝した言葉は経済界でも語り草となっています。
「社員諸君にはこれまでの3倍働いてもらう。役員は10倍働け。私はそれ以上に働く」
当時の重役クラスは、朝10時ごろ出勤し、夜は東京の新橋周辺で、飲み食いしている風潮があった。上に立つ人間ほど犠牲的精神が必要なのに、現実は全くのあべこべであった。
そんなだらけた雰囲気を一掃し、先陣を切って働くとの一大宣言を社内に叫び、東芝の再建に好スタートを切った後の結果は疑う余地はありません。見事な再建です。
人の考え方は、それぞれですが、私は、この土光敏夫さんという経営者の本や、故・田中角栄氏は、 選挙に当選するには 「戸別訪問3万軒、辻説法5万回」 と常に言われていたそうです。
自分はどうか?
私自身は、まだまだ甘く、ここまで己を律することは出来ませんが、厳しく自分と向き合いながら、次の目標である第30期の決算を目指したいと思うのです。
そして、土光さんの私生活ですが・・・。
1日の平均睡眠時間は4時間から5時間で、毎朝4時か5時に起床して、朝早くから夜遅くまで無駄な時間を過ごす時がなかったらしく、
「怒号」、「カミナリおやじ」とあだ名されるほど厳しい人間だったが、単なる精神論一本槍ではなく、その裏には徹底した熟慮があったそうです。
どうすれば会社をよくすることができるか、頭がしびれるほど考え、構想を練られていて。
いざ動くとなったら、猛きこと火のごとし、だれの追随も許さぬ強い信念で難局を打開していった。
だからこそ、厳格な土光さんに多くの人が従っていったと本には記されていました。
中野猛・・・!顔晴ります!
では、また♪
GACKTブロマガ OH MY GACKTで「オレは世界の中野猛」執筆中です。