中野猛オフィシャルブログ

新たな始動

残暑厳しき折、いかがお過ごしでしょうか?

私が24歳で営業本部長になり、本部長として6年、社長として32年。

合計38年間もの間、人を統率してマネジメントをしてきました。

<<若き24歳の営業本部長時代>>

振り返ると、昨日のことのようにも思えます。

人が人の上に立ち、目標を掲げ、心を一つにして、売り上げを達成していく。

文字として書いてしまうと、たった一行に纏まってしまう。

しかし、人の気持ちを統率して、目標に向かわせることは至難の技であることは、マネジメントの経験のある方なら言わずもがなでしょう。

現場第一主義で、最前線を走ってきた私ですが、62歳という初老を迎えて、この10年を振り返ると、随分と体力の低下を感じざる終えません。

52歳のころの自分は、月のうちの3分の1は東京支社に入り、東京支社の立て直しで現場で孤軍奮闘していたのを記憶しています。

月間の3分の1をホテルで過ごしても、全く疲れは出ませんでした。

それは、当時のトレーニングの量にも比例してるかもと反省しています。

体調管理とカラダ作りは、45歳よりずっと、つづけてはいますが、62歳からの新たな挑戦の為に、週2回まで落ちていた筋トレを3回に増やし、朝のストレッチ30分にプラス30分の走り込み(有酸素運動)を加えて自分の肉体と精神を戦闘モードに切り替えています。

“不可能の反対は可能では無く挑戦である“

62歳からの新たな戦いは、若いころの戦い方と、は少し違いは出てくると思いますが

マクドナルドを世界一のファーストフードに育てた、レイクロックの挑戦が52歳だったことは有名です。

「全てのリスクをは私が取って、マクドナルドの店は私が作るから利益しかない。」とマクドナルド兄弟に一切のリスクがなく儲かることを説明した結果、漸く兄弟は納得したのでした。

この時、クロックは53歳で糖尿病を患っていましたした。

しかし年齢とは関係なく、懸命に働き翌年の1955年3月2日には、新しい会社”McDonald’s Systems Inc.”を作り、同年4月15日にクロックが直営店1号店をイリノイ州デスプレーンズにオープンしました。

「人生における大きな喜びは、不可能だと皆が言うことをやってのけること。」

だと思ってます。